毎日、命を使い切りたい

毎日、命を使い切りたい

2022/05/29

人生はいつどこで終わるか分からない。 いきなりだが僕は、人生の有限性を他人以上に意識して生きている自負がある。 そう意識するようになったきっかけは19歳のときに癌になったことだ。

あれから10年、僕は今年29歳になる。 10年という区切りを迎え、今日まで生きられたことにホッとするとともに、人生の有限性を意識することで生まれる充実について人に伝えたいという思いから筆を取った。

(………つもりだったのですが、ちゃんと計算したらまだ9年しか経っていませんでした…。が、もう書いてしまったので区切りは悪いのですが、このままBlogを公開しようと思います…。)

本エントリは2部構成になっており、前半は僕の癌体験記をストーリー調で書いている。 読み物としてテンポ良く読んでもらえるようポップに書いたつもりだが、ちょっと長いので流し読み程度に読んでもらえたら嬉しい。 後半は人生の有限性と向き合って生きることの良さについて書いている。

※本エントリに出てくる医学的な知識は当時の記憶を掘り起こしながら書いているもので、正確な情報ではない可能性があります。ご容赦ください。

19歳のある日、癌になった

大学生になったばかりの2013年4月、大学の健康診断を受けた。 いわゆる普通の、どこの学校でもやっているあの健康診断だ。 サボる人も多かったが、1年生だったということもあり、何の気なしに受診した。

その数日後、大学の保健管理センターから電話がかかってきて、すぐに来るよう呼ばれた。 話を聞きに行くと、どうやら健康診断で撮ったレントゲンに影があるという。

「レントゲンは結構粗いので、何ともない可能性も高いですが、一応大きい病院でCT検査を受けてください。今予約取りますね。」 保健管理センターの職員はそう言うと、こちらの返事も待たずに、勝手に病院に連絡し予約を取った。 このとき予約を取ってくれなければ、しばらく放置していた可能性は大だった。駒澤大学の職員は優秀だ。

そんなこんなで学校近くの大きな国立病院に検査に行くことになった。 99%何もないだろうという謎の自信があり、軽い気持ちで1人で検査を受けに行った。 CT検査を終えて、診察に行くと先生は「心臓の近くの縦隔という場所に腫瘍があります」と言った。しかも腫瘍は直径6cmもあり、めちゃくちゃ大きいという。 さらに胃の腫瘍などの場合は胃カメラで良性か悪性(癌)かを判断できるが、僕の場合は胸にできているので腫瘍を取り出さないことには良性か悪性か分からないと言う。

その場で手術が決定した。 腫瘍がすでに6cmにも成長していることから、もし悪性だった場合、他の場所に転移している可能性も高いと言われた。 そのためすぐにPETという検査も行われた。PETはCTとMRIを足したような高度な検査で、全身を隈なく調べられた。ちなみに保健適用でも3万円かかる。

検査の結果、全身のどこにも転移していなかった。 そのことから良性である可能性は高そうだと言われたが、手術自体は予定通り実施することになった。

と、このタイミングで突然担当医が変わることになった。 ここまでは若い先生が診てくれていたのだが、おじいちゃん先生にスイッチすることになった。すんごくおじいちゃんだった。 なんと手術の執刀医もこのおじいちゃんが務めるという。 おいおい大丈夫か、執刀中に手とか震えちゃったりしないのかと、不安になったので、このおじいちゃんについて可能な限り調べた。 どうやらおじいちゃんはこの大きな国立病院の副院長で、呼吸器科の名医っぽいことが分かった。 このおじいちゃんに人生を預けようと腹を括って、手術の日を待った。

そして2013年6月、生まれて初めての全身麻酔、そして6時間に渡る開胸手術が行われた。 (と言っても僕は寝ていただけだが)

手術は無事に終わり、僕は麻酔が切れたタイミングで胸の傷の激痛で起きた。 胸にはゾロのような傷ができていた。闘いは終わった。

尾田栄一郎『ONE PIECE』(集英社)
尾田栄一郎『ONE PIECE』(集英社)

数日経って落ち着いた頃、手術後はじめての診察があった。 おじいちゃん先生いわく、手術は完璧だったという。目に見える腫瘍は完全に取り切れたと。 そして衝撃的な事実も告げられた。腫瘍は悪性だったらしい。 両親は手術の直後に聞いていたらしく、僕だけが驚いていた。 ちなみに生まれて初めて耳にするマイナーな病名だった。

直後にさらに衝撃的な事実を告げられた。 なんとこれから化学療法(抗がん剤)での治療が必要になるという。 いわく、心臓という臓器は水に浸かっているらしいのだが、手術時にこの水を採取したところ、悪性腫瘍の細胞が確認されたとのこと。 つまり、手術で目に見える腫瘍は除去できたが、目に見えない腫瘍は取れなかったので治療で殺すしか方法がないとのことだった。なるほど。 なお、僕のかかった病気は抗がん剤での治療の有効性がかなり高いとのことだった。

ちなみに心臓が癌になることはないらしい。へえ〜。たしかに心臓癌って聞いたことないもんな、と思った。

そこから半年間の抗がん剤治療が始まった。 ご存知の通り、抗がん剤治療は副作用で髪が抜ける。落武者みたいになるのは嫌だなと思い、治療が始まる前日に坊主にしてみた。 元々茶髪にロン毛だったので、ナースセンターの皆が驚いていた。

抗がん剤の副作用には嘔吐をはじめとする、様々な体調不良があると聞いており、これから始まる闘病生活にめちゃくちゃビビっていた。 投与初日には嘔吐用のバケツがベッドに用意されていた。

しかし数週間経っても、体調は特に悪くならず、強いて言えば便秘に悩まされる程度だった。 薬との相性が良いとそういうこともあるらしい。また、僕の場合は投与された薬がそんなに強くなかったということもあったかもしれない。 「この様子だともしかしたら髪も抜けないかもしれない」と言われ大変喜んだことを覚えている。その2週間後、髪は豪快に抜けはじめた。 ちなみに半年間の入院生活で嘔吐したのはたったの一度だけ、なぜか退院する日の朝に吐いた。

2013年12月、想像していた闘病生活とはちょっと違ったが半年間の全治療を終え、髪の毛以外の日常が戻ってきた。 癌との闘いは一旦幕を閉じた。

ちなみに余談だが、抗がん剤治療時に坊主にするのはオススメしない。 副作用で髪が抜け始めると、本当に軽い刺激で髪が抜ける。もはや生えているというよりはくっついていると言った方が正しい。軽く頭をかいたり、寝返りをうつだけでも抜ける。 坊主の場合、髪が短いので、抜けた髪の毛がめちゃくちゃ枕に刺さる。何度枕カバーを交換してもらってもチクチクする。 1日に何度もコロコロをするハメになるので、本当にオススメしない。

人生の有限性と向き合う

無事治療を終えて、5年間の経過観察をすることになった。 前述した通り、僕の病気は抗がん剤での治療の有効性が高く、再発する場合は治療直後がほとんどで、5年間再発がなければ基本的には完治したと考えるらしい。 最初の2年くらいは3ヶ月に一度、その後は半年に一度CT検査をした。

そして今日まで9年間、幸いにも再発はしていない。 5年を過ぎたので基本的には完治しているはずだが、レアケースもあるらしいので一応今でも半年に一度CT検査を続けている。 おじいちゃん先生が生きている限りは続ける予定だ。

さて、ここからは人生の有限性と向き合うことについて書きたい。 誰しもいつかは死ぬ、そしてそれはいつか分からない、という当たり前の事実について、普段それを意識して過ごすことはないように思う。 かくいう僕も癌をきっかけに人生観がガラッと変わったみたいなことはなく、治療が終わった当時は「とりあえず無事終わって良かったー、ラッキー」くらいにしか考えていなかった。

生死に関わる大きな出来事を経験して、人生の有限性を意識するようになったという人もいるが、僕はそのタイプではなかった。 僕の場合は9年間の経過観察の中でじわじわと意識するようになっていった。

前述した通り、僕は今でも定期的に検査をしているが、ほぼ完治していると思っていても検査日は必ずドキドキする。 しかもおじいちゃん先生は検査結果を確認してから診察をせず、なぜか僕を診察室に呼んでからCT画像を確認する。そのため沈黙の時間が1分半くらいある。 そのほうがしっかりと診察している感が出るのかもしれないが、頼むから先に確認してすぐに結果を教えてほしい。 毎回この1分半の間に鼓動がYOSHIKIのドラムくらい最高潮になり、喉はカラカラ、手汗がびっしょりになる。

「今回も再発の兆候はなしだね。良かったね。」 1分半の沈黙を破り、おじいちゃん先生がそう告げる瞬間、僕は次の半年分の命の契約更新をしたような気分になる。

この契約更新を9年積み重ねるうちに、徐々に命の有限性について深く考えるようになった。 「次の契約更新はないかもな、この半年間また全力で生きよう」「なんなら明日死ぬかもしれんしな」そんなことを考えながら病院を後にする。 繰り返すたび、年々丁寧に、一生懸命生きられるようになった。

仕事も趣味も妥協しない。 仕事は「次の検査で再発するとしても、今この仕事をするのが最高か?」と定期的に確認しながら、キャリアを積んでいる。(ジョブズの名言みたいになってしまった) 趣味もとことん味わい尽くしている。 ランニングを始めるやいなや、一気にフルマラソン挑戦までやってみたり(ちゃんと完走した)、地元のチームでなんとなくやる草野球では飽き足らず、自分でチームを立ち上げ、週末は真剣に野球をしたりしている。 最近は筋トレにもハマり、年内にベンチプレス100kgを達成することを目標に、日々トレーナーにしごかれながら鉄の塊を持ち上げている。 さらに今は小中学生のときにやっていた空手をもう一度習おうと画策している。 人生の有限性を意識することで、年々エネルギッシュになっている。

また、自分の命はもちろんだが、他人の命の有限性についても日々考える。大好きなあの人もいつ死ぬか分からない。 だから人間関係にも一切手を抜かない。ケンカやわだかまりは必ずその日のうちに終わらせ、絶対にしこりを残したまま別れないのがマイルールになった。 そして大好きな人には躊躇なく愛を伝える。やりすぎなくらいで多分ちょうどいい。 恥ずかしがらずに母親にハグできるようになったのは大きな変化かもしれない。

こんな感じで過ごす人生は充実している。明日死ぬことになっても後悔しない気がする。 こう思えるのは半年に一回、人生に限りがあることを見つめ直す機会があるからだと思っている。 サンキュー、癌。 これを読んでいるあなたにはもしかしたらそういう機会はないかもしれないが、このBlogが人生に限りがあることを見つめ直す一つの機会になってくれたら嬉しい。